昔話 〜高野〜
キュウリを作れない家
「あそこの家はキュウリを作れないからねえ」とおばあちゃんが畑で採ったばかりのキュウリを袋に入れながら言いました。 「どうして作れないの?」 「さあ、どうしてかねえ。昔から作れない家があるんだよ」 「食べるのはいいの?」 […]
舘(たて)の黒鹿毛神社
西田町丹伊田(にいた)に舘(たて)と呼ばれる場所があります。 舘とは、地形などを利用して、掘りを掘ったり土塁(どるい)という土かべをめぐらして、敵を防ぐ工夫をした「とりで」のことです。舘にはその辺りを治める武士のかしら、 […]
宮(みや)のお殿さま
宮(みや)というのは、丹伊田にある鹿島大神宮の宮司(ぐうじ)さんの家のこと。 江戸時代、三春のお殿さまが鹿島大神宮に参拝なさる時、いつも宮で休憩(きゅうけい)された。だから宮には「お殿様さまのお部屋」があった。玄関(げん […]
美春駒・子育て木馬(高柴)
西田町高柴デコ屋敷では、美春駒が昔から作られている。 延暦(えんりゃく)14年の昔、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)将軍が、大滝根山の洞窟に住む大多鬼丸という賊の征討(せいとう)に、京都を出発しようとしたとき、京都 […]
呼ばわり石(丹伊田)
天正17年(1589)、伊達(だて)軍と芦名(あしな)軍が高倉付近で戦ったときのこと。伊達軍は大いに苦戦をし、三春藩に応援を求めた。 西田町丹伊田にあった新田館(にいだやかた)からも、さっそく大勢の援軍を送った.だがその […]
館の呼ばり石(丹伊田)
丹伊田の舘(たて)と呼ばれる地域のうらには、「馬石」「鞍石」と呼ばれる石があり、子供たちがよくまたがって遊んでいた。また、ちょっと離れた畑のよせには「よばり石」と呼ばれる石があった。 昔安達の方から軍勢が攻めてきたときに […]
東荒井の井戸(丹伊田)
この地を治めていた館主、新田美作守(にったみまさかのかみ)は、天正2年、西田町丹伊田の狐林山という地域に、産土神として山城国(やましろのくに)伏見稲荷(ふしみいなり)の神様をおまつりしたと伝えられている。 古書にはこう […]