この地を治めていた館主、新田美作守(にったみまさかのかみ)は、天正2年、西田町丹伊田の狐林山という地域に、産土神として山城国(やましろのくに)伏見稲荷(ふしみいなり)の神様をおまつりしたと伝えられている。

 古書にはこう記されている。
『稲荷神社御水垂(みたらし)は神殿うら、狐林山麓の清水池である。
これは、明神の神力によって人が生活できるようにと、一夜にして清水を湧き出させたものである。

ある時、一人の少女があらわれて、里人に、

「この水は、神様の水―御神垂(みたらし)である。
神様に感謝して使わせていただけば長寿延命となる。
また火伏せの霊験もある水なので、部落に火事は起きないであろう。
しかし、けがれや出産などに用いれば災いがある。」
といった。

お告げが終わると間もなく、その少女は白煙になって消えてしまった。

里人は、この少女は明神の化身であろうと思い、この井戸水を大切に使った』

この井戸には、いつも水が豊かにわき出でており、現在でも十戸の家が使用しているが、どんな時でもかれることがないという。
また、昔からのいましめにより、お産の産湯など、けがれ事には決して使用しないという。

〇西田町 丹伊田雄恵 (再話 渡辺雅子)

参考文献『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課