説明

平安時代の承暦4年(1080)、木村・根木屋・芹沢・山田4ケ村の総産土神として創建された神社。
ご祭神は 大山咋命 大己貴命
当時の社名は山王大権現であったが、明治2年の正月に山王大権現を改めて日枝神社と称すようになった。
同名の神社が同町内の三町目にある。

平安時代の創建した時の逸話が今も伝わっている。

メモ

毎年11月2日の夜、絵灯篭祭りが行われます。

地元にあった根木屋小学校の児童一人一人が描いた色とりどりの絵灯篭に灯がともされた参道は、懐かしい故郷の風景として地元の人に愛されています。

小学校閉校後も、地域の協力により、絵灯篭は祭礼の前夜を華やかに照らしています。

所在

〒963-0912
福島県郡山市西田町根木屋字根木屋221

お願い

祭礼の日、絵灯篭祭り、雪景色などなど…
日枝神社の画像を提供してくださる方、I LOVE NISHITAの公式ラインにご連絡ください!
よろしくお願いいたします。

もっとくわしく

征夷大将軍藤原忠文朝臣五世の孫左兵衛介顕房、鎮守府将軍源頼義公に従い奥州下向の砌近江國比叡山王権現の御神酒を拝受し、當所に士卒を慰労せし時、その神甕を御璽代として奉斎す。

干時承暦4庚申歳なり。

再後4月16、中の申の日を以て祭日と為し、木村・根木屋・芹沢・山田4ケ村の総産土神として崇敬无厚し。

万治元戊戌年に至り 左兵衛介顕房28世の孫、増子五郎左衛門當村の里正として社殿を改造し、三城目村祠官 増子出羽守を斎主となし、欣仰愈厚し。

延宝6戊午年、木村親郷より分離し一村立となりし時當字のみの鎮守と為る
祭主は遠藤奥守注連下吉田伊勢守なり

伊勢守廃官の時、北小泉村 伊賀正跡兼帯 安積郡福原村祠官 渡辺縫殿亮、祭主となる

明治2己巳年正月 山王大権現を改めて日枝神社と称す

明治13辰年阿久津 村上彦士 祠官となる

大正8年4月15日 前社掌 村上司書 職を辞し 増子五三郎社掌と為り名を邦臣と改む

昭和6辛未年 本殿を改築し神威を報賽と再伝

『日枝神社 當社由緒』より引用