電話を借りに行く(昭和30年代)
昭和30年代頃まで、西田町ではまだ電話がそれほど普及していませんでした。
電話機があるのは商店や産婆さんなど、限られた一部の家だけで、電話がない家の方が多かったそうです。
映画『となりのトトロ』の中で、サツキが隣の家に電話を借りに行ったように、用のあるときには電話のある家に行って、使わせてもらいました。
農集電話の普及(昭和40年代~50年代)
昭和40年代(1965〜)には農集電話(農村集団自動電話)が普及しました。
これは、一つの電話回線をを5〜10軒ぐらいで使うもので、普通の電話よりも料金が安かったのです。
けれど、どこかの家で電話をかけているときには、他の家では使えませんでした。
一家に一台から一人一台へ(昭和60年代~)
昭和50年代半ば頃には、だんだん今の固定電話と同じ、一軒一回線の電話が普及していきました。
平成になると携帯電話が一般的になり、一人一台電話を持つのが当たり前の時代になりました。
農集電話の頃には想像もできなかったことですね。
インタビュー
農集電話の頃を覚えている人にお話を聞いてみました
―誰かが電話していると、そのグループの他の人がかけられないのでは、長電話はできないですね
いやあ、それがやっぱりその頃にも長電話の人はいたんだよ
―じゃあ、急用があってすぐに電話したい時にも待っているしかないのですか?
電話機の下の方に非常ボタンというのが付いていてね。
それを押すと、通話中の電話に割り込めたんだよ。
―えっ、3人で話せたっていうことですか?
そうだよ。たとえば
『いつまで長電話してんだ!こっちは婆さんが急病なんだ!早く切れ‼』
というぐあいに割り込めたんだよ。
―長電話してる人、びっくりしたでしょうね(((^-^)))
農村集団自動電話のリーフレット
○お話を聞かせてくれた人
岩崎良幸さん・渡辺康史さん(丹伊田) 令和4年2月
※昔の電話についてのエピソード、お待ちしています!