「一里松」と呼ばれる松が、高柴と三町目の堺にある。

昔、坂上田村麻呂の子孫である田村古哲が三春城と高野城を築いたとき、三春の大手門から一里(約4㎞)の地に植えたと伝えられている。

松は枝を広げ、日ざしの強い日は木陰が旅人の憩いの場所となり、江戸時代には里程(道のり)の目安になったという。

昭和54年、この一里松は県道拡張工事のため伐採されたが、今は代わりに植えられた小さな松があり、やはり一里松と呼ばれている。

〇岩谷文輔 (再話 渡辺雅子)

現在の一里松

『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

「髙野城」について

本文中に「髙野城」が出てきますが、髙野という地名は明治時代にいくつかの村が合併した時にできたものなので、田村古哲の時代に築かれたのは西田町丹伊田字舘にあった「黒鹿毛城」ではないか、との御意見を鹿島大神宮の渡辺康史宮司にいただきました。
昔は黒鹿毛城跡(現黒鹿毛神社)から三春のお城山がよく見えたそうです。

一里松の場所を探して…


本家恵比寿屋の橋本恵市さん

「昔は看板もあって、きれいにしてあったんだけどね…」

今回、一里松の場所を案内してくださったのは、高柴デコ屋敷本家恵比寿屋の橋本恵市さんです。

「松食い虫が入って枯れてしまって、その後にまた苗を植えたんだけれど、すっかりわからなくなってしまったね」

確かこの辺だったはずとしばらく探して見つけた一本の松。看板は見つかりませんでした。

「ここから三春の明徳門のあたりまでが一里(約4㎞)なんじゃないかな」

橋本恵市さん、ありがとうございました。今度明徳門までの距離を測ってみます!