西田町土棚を流れる白岩川にまつわるお話。
時代は今から約八百余年の昔にさかのぼります―

鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の弟、義経(よしつね)には、静御前(しずかごぜん)という美しい恋人がいた。

不仲になった兄頼朝の追手から逃れるため、義経が白石というところへ向かったことを聞いた静御前は、義経恋しさに阿武隈山脈近くの山川をつたい、安積長沼の白方、三穂田の白石、安達の白岩と、「白」のついた地名を頼りに後を追った。

安達の白岩に向かう途中、白岩川に七つのお不動さまが安置されていることを聞いた静御前は、その七不動をめぐって祈願しながら白岩を目ざすことにした。

そして4つ目のお不動さまのある土棚の石堂淵で、美しい景色を眺めながらしばし休憩していた時のこと。

静御前は、七不動の残る3つが今ではわからなくなっていること、また義経が向かったという白石はこの辺りではなく、奧州(おうしゅう)宮城の白石であることを聞いた。

静御前は、そのあまりの遠さに落胆し、疲れ果てて逢瀬というところまで引き返した。

すっかり絶望した静御前は、近くにある美女池に二度まで身を投げて死のうとしたが、この地を治めていた花輪長者に助けられた。

けれど義経に会えない失望のあまり、3年後にとうとう亡くなってしまった。

そんなことがあってから、土棚の石堂淵は、ひと雨ごとに浅くなり、また深くなるようになった。
その変わりようを見た地元の人々は、
「これはきっと静御前の怨念であろう」
と言い、いつしか石堂淵は「御前淵」と呼ばれるようになった。

〇西田町 鈴木弥助 (再話 渡辺雅子)

参考文献『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

美女池イメージ(丹伊田にある池)

―コメント― I ❤ NISHITA

「源義経」歴史の時間に出てきましたね。
その美しい恋人である静御前が西田町を訪れたという伝説がありました。


静御前がお参りしたという御前淵のお不動様、今もあるのでしょうか。
見つけた人は、ぜひ写真も撮って、I♡NISHITAへお知らせくださいね!

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