西田町鬼生田には、子産坂(こなしざか)と呼ばれる地域があります。
そこにはこんな2つの昔話が残っていました。
子産坂 その1
むかし、ある主婦が鬼生田の坂に行きかかった時、その坂があんまり急なので流産してしまった。
それ以来、その坂は「子産坂」とよばれるようになった。
その後、いつの頃からか、子産坂の石の神様(子産水神)の水をもらってきて、産婦がこの水を飲むとお産が軽くなるといわれるようになり、無事にお産が済むと、石の神さまに赤い布をあげてお礼をした。
「郡山市史 民俗資料カード」より紹介
子産坂 その2
平安時代、後三年の役という戦があり、八幡太郎という通称で知られる武将、源義家(みなもとのよしいえ)がこの地を通った。その時、ここで側室、菖蒲の方がお子をお産みになったので、その場所を「子産坂」というようになった。
「郡山市史 民俗資料カード」より紹介
コメント ~I ♥ NISHITA
ひとつの地名にふたつの由来があるって、面白いですね。
最初のお話に出てくる「子産水神」って、今もあるんでしょうか?
そして今でも赤い布をあげる人がいるんでしょうか?
知っている方、ぜひI ♥ NISHITAまで教えてください。