画僧雪村

雪村庵

昔、奧州田村領の大田村に、いつのころからか高貴な旅の僧が来て、庵(いおり)を結び移り住んでいた。この僧は、書画をよくし、自ら和紙をすき、里人たちにうちわ、凧絵(たこえ)などを描いて与え喜ばれていた。この画僧は、常陸佐竹氏ゆかりの雪村周継(せっそんしゅうけい)であった。雪村のすく紙は「雪村紙」といわれている。

やがて数年過ぎたある年の暮れ、雪村は病気になり、里人の快復の願いも空しく、12月30日、ついに入寂(にゅうじゃく)された。里人は、矢島川の大きな丸石を選んで墓碑(ぼひ)としてまつったという。

今も近くの人々は、春秋の悲願には香華(こうげ)をたむけて参詣し、また亡くなられた「暮れの餅つき」を忌み、代々にわたって、正月に入ってから餅をついたといわれる。

今、雪村庵(せっそんあん)といわれる庵(いおり)が残り、その裏に墓碑といわれる自然石が残されている。

○ 西田町 会田敏春

『郡山の伝説』
昭和61年3月10日発行
監修 東洋大学教授・文学博士 大島建彦
発行 郡山市教育委員会
編集 郡山市教育委員会社会教育課

雪村案
雪村庵の桜